平成18年築土祭〜よみがえる江戸の情熱(はな)〜 平成18年8月28日版
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★ 概要と沿革

夏の残暑が厳しい都会に蝉時雨が響く中、今年も築土祭(つくどまつり)の季節がやってきました。本年は2年に一度の本祭(ほんまつり)。9月10日(日)には、築土神社氏子町内の神輿5基、山車2台が一斉に町内を巡行し、連合渡御(れんごうとぎょ)が行われます。

今回の連合渡御では、田安門(たやすもん)から旧江戸城の内郭へ入城します。旧江戸城には内郭(内堀沿い)に15の城門があり、田安門をはじめとする内郭の城門のいくつかは現在も完全な形で保存ないし再建されておりますが、神輿行列を形成する集団がそこから江戸城の内郭へ入城することが許されるのは極めて異例のことです。

平成18年9月10日(日)午後1時 神輿5基・山車2台が田安門へ集結 !!! 21世紀、東京のど真ん中で江戸の情熱(はな)がよみがえります。


江戸城天守閣(寛永9年江戸図より)
江戸城天守閣(寛永9年江戸図より)

現存する江戸城の櫓(やぐら)
現存する江戸城の櫓(やぐら)

− 江戸城 −

 築城年:長禄元年(1457年)

 築城主:太田道灌

 歴代城主:上杉家、北条家、徳川家

 形状:輪郭式平山城

 指定:国指定特別史跡(昭和35年5月20日)

江戸城は、長禄元年(1457年)に太田道灌により築城されたと云われますが、現在のような城郭構造が形成されたのは寛永13年(1636年)のことです。

江戸城は大きく「内郭(内堀に囲まれた区画)」と「外郭(外堀に囲まれた区画)」とからなります。「内郭」には本丸や天守閣など将軍の生活する御殿と幕府の重要施設等が置かれました(田安門は「内郭」の城門の一つで、現在の日本武道館や北の丸公園は「内郭」に位置します)。他方、「外郭」はいわゆる「城下町」にあたり、武家屋敷や社寺等が置かれました(現在、築土神社の鎮座する辺りも、「外郭」に属します)。

「内郭」には15、「外郭」には11の城門が設けられ、特に「内郭」の城門は厳重に警備されていました(一般的には、江戸城には「三十六見附」あったといわれますが、「見附」とは必ずしも「門」を意味するわけではなく、城の重要な出入り口のことを指すため、内郭、外郭の城門の合計数とは一致しません)。明治初年の東京遷都以降、「外郭」の城門は全て取り壊され現存しませんが、「内郭」の城門は、田安門をはじめ桜田門や半蔵門など、いくつかは完全な形で保存ないし再建されています。

もっとも、それらは敷地も含めて全て国の所管に属するため、一般に開放されているところであっても、警備上の問題等により、敷地内での大規模な活動は厳しく制限されているのが現状です。今回、神輿行列を形成する集団が田安門から江戸城の内郭へ入城することが許されるのは極めて異例のことといえましょう。




田安門前
田安門前

田安門正面
田安門正面
− 田安門 −

 築造年:不明

 形状:枡形門 本瓦茸

 指定:国指定重要文化財(昭和36年6月7日)

 所管:財務省

田安門は「北の丸」への出入口で、江戸城の「内郭」の城門の中で最北に位置します。古くは「代官町御門」ともいい、かつては下総、安総まで限りなく見える絶景の地でありました。田安門の扉釣具には寛永13年(1636年)の銘がありますが、慶長12年(1607年)の『慶長日記』にはすでに田安門の名があり、正確な築造年代は不明です。

築土神社は文明10年(1478年)に現在の田安門内に遷座し、以降、天正17年(1589年)に江戸城拡張により牛込見附へ移転するまで、田安門内外に広大な敷地を有していたため「田安明神」とも称されました。「田安門」の名も、一説には、この門の場所が田安明神の旧地であったことに由来すると云われます。

田安門内外は古くから築土神社の氏子地域に属し、江戸期には、田安門内に屋敷を構えた春日局(徳川家光の乳母)や田安徳川家等の信仰も厚いものがありましたが、明治に入り国有に属して以降は、容易に立ち入ることが出来ない状況が続き、「北の丸」が昭和44年昭和天皇の還暦を記念して一般に公開されたあとも、大規模な神輿行列がこの門をくぐり抜けることはありませんでした。

今年の連合渡御は、まさに江戸東京の歴史に新たな一ページを刻むことになります。


−主な参考文献−
・『千代田区史跡散歩』 学生社
・『図説 家康の江戸』 新人物往来社
・『東京都の地名』 平凡社

江戸城跡

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