平将門を祀る江戸の古社

☆新着情報☆
更新履歴
築土神社/平将門を祀る江戸の古社         【English】

■■サイト内検索■■

HOME
リンク
sitemap
神社概要
境内案内
氏子地域
年中行事
御祈祷
行事作法
お守り
社宝
兼務社
人物由縁
将門伝説
写真集
築土祭
参考資料

人物由縁
 古代〜
日本武尊
藤原純友
藤原秀郷
 中世〜
楠木正成
太田道灌
 江戸初期
天海
徳川家康
小野忠明
お江与
徳川秀忠
春日局
徳川家綱
 江戸中期
徳川吉宗
大田南畝
笠森おせん
滝沢馬琴
 幕末〜明治
清河八郎
近藤勇
有栖川宮熾仁親王
永倉新八
和宮
池田七三郎
 昭和〜
鳩山一郎
田中角栄
人物由縁一覧


人物由縁 >>
有栖川宮熾仁親王(1835〜1895年)

 幕末〜明治

有栖川宮熾仁親王
登美宮吉子
徳川慶喜
有栖川宮熾仁親王
登美宮吉子
十五代将軍慶喜

下の写真は戦災焼失前の築土神社拝殿を写したものである。画像が粗くて見にくいが、よく見ると拝殿奥の上部に「築土神社」と記された額が掲げられているのが分かる。これは有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)が明治13年(1880年)2月築土神社を訪れた際、自ら筆をとり当社に奉納されたものである(昭和20年戦災で焼失)。

有栖川宮熾仁親王は天保6年(1835年)、有栖川宮家の第一王子として京都に生まれた。17歳のとき孝明天皇の妹 ・和宮(かずのみや)と婚約していたが、文久2年(1862年)政略結婚により、和宮は14代将軍家茂に降嫁。その後、倒幕を決定づけた戊辰戦争が慶応4年(1868)1月勃発すると、熾仁親王は「東征大総督」に任ぜられ、さらに明治10年(1877年)の西南戦争でも「征討総督」となり、明治政府軍の最高指揮官を務めた。明治28年(1895年)61歳で没。

ちなみに、徳川15代将軍慶喜の生母 ・登美宮吉子(とみのみやよしこ)はもともと有栖川宮家の出身で、熾仁親王は吉子の甥にあたる。そして吉子は後に水戸徳川家に嫁ぎ慶喜を産んでいるから、熾仁親王と慶喜とは、いとこ同士ということになる。

戦災焼失前の築土神社拝殿
戦災焼失前の築土神社拝殿(昭和初期頃撮影)

関連ページ

【和宮】

102-0073東京都千代田区九段北1-14-21 TEL 03-3261-3365 FAX 03-3261-8634  info@tsukudo.jp

Copyright © 2001-2007 tsukudojinja. All Rights Reserved.
http://www.tsukudo.jp/